30代経営者修行中ブログ

顧客、従業員、家族から必要とされる事業、そして自分が納得できる事業を創ることを目標としています。

不都合な真実

 クリントン政権の副大統領であったアルゴアが温暖化問題について告発したドキュメンタリー映画です。今年度のアカデミー賞のドキュメンタリー部門に輝いた映画で、書籍も刊行されています。
 この手の書籍に対して、気候のサイクル等の理論を持ちたてて、そもそも地球温暖化が起こっているのかどうか怪しいと批判する人がいますが、僕はその意見には与しません。
なぜなら、そもそも、どちらの意見についても専門的な知識は持っていないのにもかかわらず、頭から批判するのは不誠実だし、地球にある一資源たる石油が残り、数十年もしくは数百年という短期間のうちになくなるかもしれないという試算を考慮すると気候に何らかの変化が起きても不思議ではないと考えるからです。
 ただ、だからといって、僕は本書を支持するわけではありませんが。というのも、「アル・ゴアにとって不都合な真実 http://anond.hatelabo.jp/20070125145018」で指摘されているように人類にとっての危機はほかにも多くあるからです。
 それから、よく思うのですが、こういった問題を考えるとき、支持している人がうそ臭く、不誠実さを感じることが少なくありません。これは、格差問題等について議論するときにもよく見られることですが、加害者であるにもかかわらず、自分は被害者の気持ちを代弁しており、彼らの見方であるかのような態度をとる人がいます。こういう輩は一番不誠実であり、問題の解決を妨げると思います。
 例を挙げると、僕の大学の授業で世界の不平等を指摘している授業があります。簡単に言うと、その教授は、世界にまたがる大企業が途上国の人たちを搾取していると批判しています。僕は、その意見には反論はありません。実際そういう面があって、今日本のような豊かな生活が成り立っていると思います。そして、また、その問題について、少しでも是正していくことは重要な取り組みだと思います。
 ただ、僕が許せないのは、その教授があたかも、自分は加害者の一員ではないかのように振舞うことです。その教授も日本で生活をして、アフリカの労働者を搾取して作ったネスレのコーヒーを飲んでいるでしょう。日本で住んでいる以上その面では加害者です。そして、しかも、その教授が僕の友達を授業のアシスタントとして、ただ働きで使ってることを僕は知っています。立派な搾取をしているわけです。
しかし、この教授には、罪の意識はありません。なぜなら、自分を被害者を弁護する正義の味方と装って、自らを免罪しているからです。この格差問題について言うならば、解決は簡単ではありません。なぜなら、今の暮らしに問題があっても、それを変えることで大きな損失をこうむるからです。誰だって、得をしたいのです。まず、この問題に真摯に取り組むのであれば、「私も加害者であるのだけれども」という立場から、解決の困難さを自覚した上で問いかけねばならないと思います。「私は違う」という立場からはじめるのであれば、何も解決しないでしょう。
 ちょっと脱線しましたが、話を戻します。何がいいたいのかというと、今回の地球温暖化問題のような場合、先の教授のような不誠実な態度であればことの本質を見誤まりかねないということです。今回の問題の本質は、人類が今後も持続的に地球で暮らしていけるようにすることや、より人類全体にとってよい選択を見つけなければならないということです。
 しかし、「私は被害者」とか「私は正義」と自己正当化するだけの不誠実な輩は、この問題をつぎのように置き換えてしまいがちです。即ち、「地球を暑くしてはいけない」とか「温暖化自体が悪だ」というようにです。このように考えてしまっては、問題の本質から遠ざかってしまいます。たとえば、温暖化対策には多大なコストが伴い、経済を逼迫するのは事実だと思います。経済が悪くなれば、失業者も増えるかもしれません。そういったすべての問題に対して目をむけ、責任を感じ誠実に取り組む姿勢こそ問題の解決に必要な視点なのではないでしょうか。 
 こうはいっても、僕は省エネには気を使ってますので、あしからず。
 

不都合な真実

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