30代経営者修行中ブログ

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ジェノサイド・オリンピック (虐殺五輪) 翻訳


いま、欧米では中国に対する非難が強まっている。中国がスーダンでの住民虐殺に加担していると言うのがその理由だ。
 この米国の女優であるミア・ファローによって書かれた論稿『ジェノサイド・オリンピック』は、そのスーダンへの中国の介入を厳しく糾弾し、現在の欧米諸国による中国非難の発端となったものである。

以下は、ミア・ファロー女史とロナン・ファローの『ジェノサイド・オリンピック』を翻訳したものです。正直、翻訳箇所に自信のないところもありますが、内容は十分伝わると思います。なにか間違いがあれば、コメントに書いてくれれば、うれしいです。修正の参考にしたいと思います。
ジェノサイド・オリンピック2 その後の動向
The 'Genocide Olympics'

 『一つの世界、一つの夢』というのが2008年の北京オリンピックのスローガンである。しかし、中国には隠してはならない一つの悪夢がある。その悪夢とはダルフールである。中国によって支持されているスーダン政府によって、40万人以上の人々が虐殺され、250万人以上の人が燃えさかる村々から追い出された場所である。

 多くの北京オリンピックのスポンサーたちがオリンピックの間だけは、世界が中国の残虐行為から目をそらしてほしいと思っていることは、十分非難に値するものである。いや、しかし、同じく失望させられることは、スティーブン・スピルバーグ監督のような、アーティストたちの決定である。そう彼は、今月、オリンピックのセレモニーの舞台演出の準備をするという理由で、ひっそりと中国に訪問したのだ。中国のイメージを改善するために。1994年にナチによるユダヤ人虐殺の生存者の証言を記録するためのショアー基金の創設者となった、スピルバーグだが、彼は中国がダフールでの虐殺に資金を提供していることを知っているのだろうか。

 中国はスーダンに数十億ドルという金を注いでいる。スーダンの石油輸出量の大半を北京が購入しており、国有企業である中国石油天然気集団公司、この会社は今度のオリンピックのオフィシャルパートーナーであるが、はスーダンの二大石油コンソーシアムの最大の株主である。スーダン政府はこの利益の80%もを、残忍な代理民兵たるジャンジャウィードへの提供と、ほとんどが中国製である爆撃機攻撃ヘリコプター、装甲車両と小銃などの武器の購入に充てている。中国によって建設され、利用されている滑走路は、村々を爆撃するための離陸地として利用されてきた。さらに、大量殺戮を抑制するために、米英両国が安全保障理事会の場で、PKOの派遣を繰り返し提案したが、中国はその度に拒否権を行使してきたのである。
 スーダンにとって必要不可欠な支援者の一人として、中国は、少なくとも、スーダン政府に、ダルフールにいる無防備な一般市民を守るために、まともな国際平和維持部隊を受け入れるように主張する力を持っている。北京は大量殺戮を止めることのできる唯一の立場にある。しかし、彼らは今まで、恥じることもなく、そうすることを拒否してきたのである。

 けれども今、スーダンの石油を獲得するよりも、より達成したいことが、中国にはひとつある。それは、2008年の夏季オリンピックの成功である。通常であれば、中国はあらゆる非難に対して無頓着な国ですが、この望みを持っていることが、中国への唯一の切り口になるであろう。

 その機会が利用されないかどうかは、注目されているこのオリンピックのサポーターたちの手にかかっているのだ。ジョンソン・アンド・ジョンソンコカ・コーラ、GE、そして、マクドナルドのようなオリンピックの協賛サポーターとスピルバーグ氏のような重要な協力者はそのことを世間に認識されるべきである。『ひとつの世界、ひとつの夢』というスローガンよりも、支持グループの間で急速に伝播しているもうひとつのスローガンがある。そう、人々は語り始めているのだ、来たる『ジェノサイド・オリンピック』について。

 スピルバーグ氏は、本当に北京オリンピックレニ・リーフェンシュタールとして歴史に自らの汚点を残すことを望んでいるのだろうか。世界中の、数多くのテレビスポンサーはその恥を共有したいのだろうか。彼らはそうなってしまうであろう。もちろん、彼らの全ては、自分たちの主張がよく届く立場を利用して、中国にダルフールでの大量虐殺をやめさせるように要求を強めていかない限りであるが。

 想像してみよう。もし、そのような要求が中国政府を後押しして、中国がダルフールにいる市民を守るようにスーダン政府に影響力を行使することを。そうなれば、2008年の北京オリンピックは、『ひとつの世界、ひとつの夢』という精神を、心から、国際的にたたえることのできる、誇りと祝福に満ちた機会となるであろう。

以上。

ミア・ファロー自伝―去りゆくものたち

ミア・ファロー自伝―去りゆくものたち


感想はまた書きたいと思います。